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光母子殺害事件判決

事件から9年の歳月を経て、光母子殺害事件について
死刑判決が下されました。

この事件については、被害者の遺族の発言がマスコミで
幾度となく取り上げられ、その悲しみ、怒り、諸々の
重いものが伝わってきていましたから、世間一般に
妥当な判決が出たという空気にあるのを感じます。


この事件の死刑判決が妥当なのかどうかについて
評価できるような立場にはありませんが、
気になることが2点あります。

まず1つ目は、刑事裁判が、被害者の怒りに乗じて
世間が非難を浴びせるものとして利用されていないだろうか
ということです。

もちろん刑事裁判自体は、厳格な手続にのっとり、
手続的保障の下に進行します。
しかし、これを伝えるマスコミや世間の論調は、
加害者を集団で感情的に糾弾するようなものではなかったでしょうか。

犯した罪が明らかになった時点において、
その罪が罪として非難されるのは当然ですが、
その非難は刑罰として実現されます。

殺人犯=いかようにでも非難しても構わないかのような風潮は
自ら息苦しい社会にしていないでしょうか。。。

2つ目は、刑事手続において、被害者あるいはその遺族は
傍聴や意見陳述などにおいて尊重されるべきだと思いますが
真実の究明は、あくまでも冷静になされるべきであるということです。

しかし、特に弁護人が交替した後、加害者が強姦について
「復活の儀式だった」とか、遺体を押入れに入れたことについて
「ドラえもんがなんとかしてくれると 思った」という発言があった
ことが明らかになった後は、非常に世論が厳しくなりました。

もちろん、これを聞いた遺族が怒り心頭になるのは当然ですが、
それと真実を明らかにしていくこととは別です。

判決では、死刑を回避するための虚言であるとされましたが
それは証拠を積み重ねて導かれた結論であって
このような結論が出る前に、世論が結論を出すべきものでは
ないはずです。

あくまでも一般論ですが、犯行時から時を経て
犯人が自らの罪に向き合ったとき、その重さに耐え切れず、
自分の都合によいように記憶が変わってしまうことも
そう珍しいことではないそうです。

人間の記憶は、所詮主観的なものでしかありません。

また、犯人は、自分の記憶のとおりに供述すればよいのであって
客観的な真実を述べることまでは、要求されていません。

そうしたときに、加害者の供述を世間が額面どおりに受けとって
非難し、世論を形成していくのは、裁判員制度を前にしたときに
非常に危険であると感じました。

本村氏が記者会見で
「社会のみなさまにも、どうすれば犯罪も被害者も生まない、
死刑という残虐な刑が下されない社会になるのか
考える契機にならなければと思います。」
と述べられたことに、一縷の光を感じるとともに
この言葉を重く受け止め、考えていきたいと思います。


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明治大学リバティアカデミーで行政書士講座の講師をしています。
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